真夏の夜、天才絵師の描いた屏風絵がロウソクの明かりに照らされ、港町の商店街沿いの家々で公開される。歌舞伎のクライマックス場面を題材に、「血赤」と呼ばれる鮮烈な色彩で描かれる怪奇な作品群が、ゾクッとするような臨場感を体験させてくれる。
天才絵師 絵金
絵金は幕末から明治にかけて土佐(現在の高知県)で活躍した絵師です。歌舞伎や浄瑠璃の演目を題材に、表情豊かな人物描写や鮮やかな色彩、迫力のある画風が特徴です。

絵金の屏風絵の元になった歌舞伎の演目
仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
松の廊下で起こった刃傷沙汰の場面、判官が切腹する場面が作品になってるよ。

浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなづま)鈴ヶ森
鈴ヶ森の刑場で斬り殺された罪人の生首が登場する衝撃の場面が作品に。

伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)御殿
主君の身代わりに我が子が毒殺される母を描いた場面が作品に。
本名は弘瀬金蔵(ひろせ きんぞう)、通称、絵金。生まれたのは1812年です。

1812年は11代将軍、徳川家斉の時代。
徳川家斉は、大河ドラマ「べらぼう」にも登場します。質素倹約な政治から贅沢三昧へ、幕政を混乱させた将軍だよ。
絵金は髪結い職人の家に生まれましたが、子供の頃から絵が上手で16歳で江戸(現在の東京都)に絵の修業に行きました。通常10年かかる修行を3年で終えて故郷に戻り、土佐藩家老の家の御用絵師となります。

土佐の有名人坂本龍馬と絵金は直接の関係はないんだけど、絵金の弟子には関係者がいるんだよ。

絵金の弟子 河田小龍(かわだ しょうりょう)
河田小龍は、日本として初めてアメリカに渡航したジョン万次郎が帰国した際に取り調べをおこない、『漂巽紀略(ひょうそんきりゃく)』という書物を著しました。坂本龍馬が小龍に、「あなたは人をつくりなさい。私は船を作りましょう」と言った逸話が残っているよ。

絵金の弟子 武市瑞山(たけち ずいざん)
通称武市 半平太(たけち はんぺいた)は、土佐勤王党の盟主として幕末の尊王攘夷運動を主導した人物です。坂本龍馬と半平太は遠縁にあたり、同じ剣術道場で学び、互いにあだ名で呼び合うほど親しい関係だったけど、幕末の動乱期において異なる思想と行動原理を持つようになり、対立していくんだよ。
1844年頃、絵金は御用絵師の職を失い、しばらく消息不明となります。

失職した理由は、いろんな説があるみたい。
- 依頼されて鑑定した絵画が、実は贋作だった。
- 贋作を描いて本物と偽った。
それから10年ののち、絵金は叔母を頼って赤岡町(現在の高知県香南市)に移住します。
数年後、病気で右手が不自由になりますが左手で絵を描き続けたそうです。
1876年(明治9年)、65歳で生涯を閉じます。
土佐赤岡 絵金祭り
絵金祭りが開催される高知県香南市赤岡町は、古くから漁業と商業で栄えた港町です。赤岡町にある野市港は、土佐湾の玄関口として大阪や江戸と交易がおこなわれ賑わっていたそうです。
商人たちが信奉していた氏神様では夏の祭礼の時に、各町内から屏風絵が持ち寄られ絵比べをおこなっていました。絵比べに勝つため、豪商たちは素晴らしい絵を描く絵金に数多くの屏風絵を依頼したそうです。

赤岡町に絵金の絵が多く残っているのは、そういう経緯があるんだね
夏祭りで絵比べをした伝統は現代にも受け継がれ、絵金祭りとして毎年7月の第3土曜日と日曜日に祭りが開催されています。
祭りの会場は赤岡町の商店街の通りに面した民家の軒先。街灯や家の明かりを全て消し、ロウソクと絵馬提灯の明かりのみで屏風絵を鑑賞します。
2025年 絵金祭り
開催日時
2025年7月19日(土曜日)、20日(日曜日)
絵金屏風展示 19〜21時
開催場所
高知県香南市赤岡町 本町・横町商店街
アクセス
車の場合
高知自動車道「南国IC」より約30分
電車の場合
高知駅からJR土讃線(阿波池田・土佐山田方面)で約30分
➡️ごめん駅で「ごめん・なはり線」(安芸・奈半利行き)で約20分
➡️「あかおか駅」で下車、徒歩約10分