【夏旅】山口 小泉八雲の怪談の世界 耳なし芳一まつり

おでかけ

九州と本州の間にある関門海峡を見下ろす場所にある赤間神宮で、毎年7月15日に「耳なし芳一」を弔うお祭りが開催されます。壇ノ浦の戦いで滅亡した平家一門の怨霊が夜な夜な現れた地に、今年も琵琶の音が響き渡ります。

耳なし芳一

耳なし芳一(みみなしほういち)は、日本の怪談を世界に紹介した文学者小泉八雲(こいずみ やくも)が書いた怪談です。
琵琶を弾きながら平家物語を語る盲目の僧侶、芳一の物語です。

琵琶法師
琵琶ってこんな感じだよ。

あらすじ

赤間関(現在の山口県下関市)の阿弥陀寺(あみだいじ)に、芳一という盲目の琵琶法師が住んでいました。

芳一の得意な演目は、平家物語

平家物語は、平安時代末期の平家一門栄光滅亡の物語だよ。

国語の教科書でも有名だよね。

平家物語の冒頭
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰の理(じょうしゃひっすいのことわり)をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、ひとえに風の前の塵(ちり)に同じ。

平家物語の冒頭の意味
祇園精舎の鐘の音には、「この世のすべてのものは移り変わり、常にとどまるものはない」という響きが込められている。
沙羅双樹の花の色は、「どんなに栄華を誇る者も必ず衰える」という道理を示している。
傲り高ぶる者も長く栄え続けることはできず、それはただ春の夜の夢のようだ。
勢いが盛んな者も結局は滅び去ってしまい、まるで風の前の塵と同じである。

ある夜、芳一はどこからともなく現れた武者に招かれ、高貴なお方たちが住まう御殿に琵琶を演奏しに行きます。壇ノ浦の戦いの場面を弾き語る芳一に、その場にいた貴人たちは声をあげて泣きました。

壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)は、1185年に関門海峡(山口県下関市と福岡県北九州市の間)で起こった、源氏と平氏の最後の決戦です。

この戦いで、源義経率いる源氏が勝利し、平家は完全に滅亡しました。

源義経(みなもとのよしつね)は子供の頃は牛若丸とよばれ、天狗に剣術を習ったとか、京都の五条大橋で大男の武蔵坊弁慶(むさしぼう べんけい)を打ち負かし家来にした伝説があるよね。
戦の天才で平氏を滅ぼすのに大活躍したんだけど、その才能ゆえに兄頼朝に謀反の疑いをかけられ、最後は非業の死を遂げるんだ。

7日7晩、芳一は御殿に招かれますが、その姿は日増しに痩せこけていきました。

不審に思った寺の和尚が芳一の後をつけてると、大雨の中、芳一は墓地の真ん中で無数の鬼火に囲まれて琵琶を弾いていました。
芳一を招いていたのは平家の怨霊たちで、このままでは芳一の身が危ないと感じた和尚は芳一の全身に般若心経を書くことで、怨霊から彼を隠そうとしました。

夜な夜な芳一が琵琶を弾いていたのは、安徳天皇(あんとくてんのう)のお墓の前だったんだって。

安徳天皇は、武士として初めて日本の政治の頂点に立った平清盛(たいらのきよもり)の孫で、わずか2歳で天皇に即位したんだ。源平合戦の間は平家一門と行動を共にし、最終的に壇ノ浦の戦いで平家が滅亡する際、祖母の二位の尼に抱かれて、海へ。8歳で崩御したんだ。

その夜、芳一を迎えに来た平家の侍の怨霊は、芳一を探しますが全身に御経が書かれているので見つけることができません。

しかし和尚はうっかり、芳一の耳に御経を書きわすれてしまいました。
薄暗闇に芳一の耳だけが浮かんでいます。
芳一の耳を見つけた侍は、芳一を連れて行くことができないなら、せめてもの証拠として芳一の両耳をもぎ取って去っていきました。

翌朝、和尚は耳を失った芳一の姿を見て驚きましたが、芳一は命を取り留めました。
この出来事以来、芳一は耳なし芳一と呼ばれるようになりました。

小泉八雲

小泉八雲(こいずみ やくも)の本名は、パトリック・ラフカディオ・ハーン。
1850年にギリシャのレフカダ島で生まれました。

写真は、レフカダ島

子供の頃に両親が離婚し、アイルランドで大叔母に育てられました。
大叔母の破産により経済的に困窮し、19歳でアメリカへ移住し新聞記者として働きます。

1890年に来日し、島根県の松江中学校の英語教師となりました。
そこで松江の士族の娘である小泉セツと結婚し、1896年に日本に帰化して小泉八雲という名前になりました。

その後、熊本の第五高等学校の教師や、神戸の新聞社の記者を務め、東京帝国大学文科大学の講師となり上田敏などを育てました。

上田敏(うえだびん) 詩人

山 の あ な た
         カアル・ブッセ 作
         上 田 敏  訳

山のあなたの空遠く
「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。
噫(あヽ)、われひとゝ尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く、
「幸」住むと人のいふ。

小泉八雲は日本文化を深く愛し、英語で日本を紹介する数多くの著作を発表しました。
代表作には、日本の古典や民間の説話を元にした『怪談』や、日本人の精神を考察する『』などがあります。

怪談の中に耳なし芳一が載ってるよ。

怪談

耳なし芳一(Mimi-Nashi-Hoichi)
雪女(Yuki-Onna)
むじな(Mujina)
ろくろ首(Rokuro-kubi)
おしどり(Oshidori)
お貞のはなし(The Story of O-Tei)
乳母ざくら(Ubazakura)
鏡と鐘(Of A Mirror And A Bell)
食人鬼(Jikininki)
葬られた秘密(A Dead Secret)
青柳のはなし(The Story of Aoyagi)
十六ざくら(Jiu-Roku-Zakura)
安芸之助の夢(The Dream of Akinosuke)
力ばか(Riki-Baka)

小泉八雲は1904年、54歳で心臓発作のため東京の自宅で亡くなりました。
墓は雑司ケ谷霊園にあります。
彼は当時の西洋人としては珍しく、日本に対して偏見がなく、好意的な目で日本を世界に紹介した人物として、日本文化に多大な貢献をしました。

耳なし芳一まつり

耳なし芳一まつりは、山口県下関市にある赤間神宮で毎年開催されるお祭りです。

写真は赤間神宮

小泉八雲の怪談耳なし芳一に登場する琵琶法師芳一の霊を慰め、平家一門の供養を行うお祭りです。

赤間神宮拝殿、芳一を祀った芳一堂、平家一門の墓七盛塚などの前で、神事が執り行われます。
琵琶法師による琵琶の奉納演奏が行われ、物語の世界を間近で感じることができます。

写真は、赤間神宮の芳一堂

2025年 耳なし芳一まつり

開催日時

2025年7月15日(火曜日)

開催場所

山口県下関市阿弥陀寺町4−1 赤間神宮

アクセス

車の場合 
中国自動車道下関ICから約10分。

電車の場合
JR下関駅からバスで約9分、「赤間神宮前」下車すぐ。
JR新下関駅からバスで約20分、「赤間神宮前」下車すぐ。

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